電子ブック志ん生的、文楽的 (MouRa)無料ダウンロード

志ん生的、文楽的 (MouRa)

によって 平岡 正明


3.6 5つ星のうち(2人の読者)

電子ブック志ん生的、文楽的 (MouRa)無料ダウンロード - 内容紹介 志ん生と文楽、昭和の二大名人の芸の本質!二人は革命家的落語家である。高座に一度上がるや時は江戸へと遡り、その語りの凄みには満洲まで広がっていく日本民衆の、近代の夢と絶望が貼り付いているのだ。 内容(「BOOK」データベースより) 八代目文楽の語りの向こうに江戸の崩壊を見、五代目志ん生の噺の彼方に黄塵万丈の大陸風景を幻視する。これぞ平岡流落語論だ。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 平岡/正明 1941年生まれ。東京出身。評論家。早稲田大学文学部露文科中退。『韃靼人宣言』(現代思潮社)以来、革命・犯罪・ジャズ・歌謡曲・浪曲・映画・文学…あらゆる分野を対象に脱領域的な批評活動を展開する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る

志ん生的、文楽的 (MouRa)の詳細

本のタイトル : 志ん生的、文楽的 (MouRa)
作者 : 平岡 正明
ISBN-10 : 4062135019
発売日 : 2006/6/24
カテゴリ : 本
ファイルサイズ : 23.1 (現在のサーバー速度は21.48 Mbpsです
以下は、志ん生的、文楽的 (MouRa)に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
ジャズ喫茶でジャズに聴き入ることと、図書館の視聴覚コーナーでヘッドホンで落語CDに聴き入ることはイコールである。これが平岡正明の創作方法だ。自分と徹底的に向き合う時間空間が大切なのだ。俺自身は落語はライブでしか聴かないけど平岡のアプローチは認める。対象へ迫ること(=自分に迫ること)、対象を解釈すること(=自分を解釈すること)は人によって方法論が違うはずだし、それでいい。平岡は自分を経由した記憶でしか語らないから、俺が気づいただけでも事実関係の誤認、記憶違いがいくつもあるけど、そんなこたぁ瑣末なことであって。データ処理の対極にある、対象を血肉化していく作業にこそ平岡の真骨頂がある。今の時代、レトリックとか理論武装、イデオロギーに重きが置かれないけど、俺はそういった外連味って大事だと思うな。自分探しとか言うけど、それって自分の中で完結、孤立することじゃなくってさ。自分を他者にどう位置付けるか、他者を自分にどう位置付けるかってことであり。平岡のアプローチはとても参考になる。平岡にはそのレトリックにいつもやられるけど、「二人の名人からさっそく学んだのは、話というものはドライブさせるものだということだ。文学+ドライブ感、このドライブ感から言霊が発生しているのが落語だ」「ジャズファンなら経験するだろう。ジャズのレコードは面白いが、ジャズ演奏のビデオはつまらない。視覚がじゃまだ」あるいは、「世界革命の視点なしに楽しい落語は奇蹟的な平民芸術だ」なんてさ。ジャズ、落語の総体としての捉え方もそうだけど、平岡の噺+演者に対する解釈はオリジナリティーがあって、ほんと面白い。今回、読んでて一等腑に落ちたのは、油井正一のジャズと落語の共通点についての引用だ。「どちらも枕(イントロ)も運び(アドリブ)もサゲ(エンディング)もわかっているのに何度もくりかえし聞いても楽しい」。よく出来たなぞかけである。

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